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東京地方裁判所八王子支部 昭和37年(つ)1号 判決 1963年5月27日

被告人 大日向次郎

(その一)

決  定

(被疑者氏名等略)

右者に対する特別公務員暴行陵虐被疑事件につき田窪藤市の為した刑事訴訟法第二六二条所定の請求事件につき、当裁判所は事実の取調を遂げ、これを理由あるものと認め、次のとおり決定する。

主文

左記事件を東京地方裁判所八王子支部の審判に付する。

事件の要旨

大日向次郎は、昭和三五年八月から府中刑務所看守長として同刑務所管理部保安課長補佐の職に在つて、受刑者に対する警備、処遇等の行刑事務に従事していたものであるが、昭和三六年九月一二日午前七時頃保安課事務室において、受刑者田窪藤市(大正一一年三月六日生)を喧嘩争闘による傷害の容疑で取調た際、法定の事由がないのに同人に対し右事犯取調の手段および懲罰の具として革手錠の使用を決意し、直ちに部下職員をして腰部において右手前、左手後の革手錠を施させてこれを使用し、以つて職権を濫用して被拘禁者に対し暴行陵虐の行為を為したものにして、右は刑法第一九五条第二項所定の特別公務員暴行陵虐罪に該当する。

(裁判官 河内雄三 中村憲一郎 奥村誠)

(その二)

決  定

(請求人氏名略)

右の者からの特別公務員暴行陵虐被疑事件に関する刑事訴訟法第二六二条所定の請求事件について、当裁判所は審理を遂げ、次のとおり決定する。

主文

本件請求のうち西栄、および青木喜造に関する部分はこれを棄却する。

理由

本件請求の要旨は、

「昭和三六年九月一二日当時、被疑者西栄は、府中刑務所所長、同大日向次郎は、同刑務所管理部保安課北部区長にして前夜よりの保安課当直看守長、同青木喜造は、同じく中部区長でいずれも監獄官吏であつたが、同刑務所中部区第一工場で服役中の請求人が同日午前六時半頃居房において同囚の金谷某と殴り合いの喧嘩をしたことにつき、前記三名は共謀のうえ、何ら暴行のおそれがないのに、職権を濫用して、請求人に対し革手錠を腰部において右手前、左手後にそれぞれ固定したまま同日の早朝より同月一六日午後三時頃までの間、食事、用便、就寝等の際にもこれを緩解することなく、継続して施錠し、精神上、肉体上、多大の苦痛を与え、もつて暴行陵虐を加えたものである。よつて請求人は右の特別公務員暴行陵虐の犯罪行為につき右被疑者三名を相手取り、東京地方検察庁八王子支部検察官に対し告訴を提起したが、同支部検察官は右事件を不起訴処分にした。

しかしながら、監獄法第一九条にもとずく戒具の使用は目的達成のため必要最小限にとどむべきであるのに、刑務所における実情は、唯単に喧嘩に対する報復的制裁として喧嘩の程度に応じて期間を定めて使用され、本件もその例外ではないのでこのような弊風を一掃するためにも、検察官の公訴を提起しない処分には承服できないので、本件請求に及んだ。」というのである。

一件記録によれば、請求人は本件につき昭和三六年一一月二七日東京地方検察庁八王子支部に告訴したが、同支部検察官は右事実につき犯罪の嫌疑なしとの理由で昭和三七年一〇月一五日不起訴処分に付し、告訴人は、同月一九日右の通知を受け、同月二三日本件請求書を右の検察官に差し出したことが認められる。

よつて本件請求は適式であるから、進んでその当否について判断するに、

(中略)

を綜合すると、次のような事実が認められる。

請求人田窪藤市は昭和三六年六月より府中刑務所に拘禁され、窃盗、公文書毀棄罪による懲役刑の執行を受けていたものであるが、同年九月一二日午前六時半頃、その居房である中部区第一工場雑居一舎階下九房において、同房の囚人金谷清吉と些細なことで口論のうえ、殴り合いの争闘を為し、ために金谷は顔面に負傷するに至つた。間もなく右両名は担当看守若林信夫等によつて房外に引出され、雑居中央において両名とも後ろ手にして金属手錠を施されたうえ、相前後して保安課事務室へ連行され、同所において当直看守長、大日向次郎の面前に立たされ、同人の質問に応答してから、田窪は西部管区事務室へ連行され同所において二名の看守部長の手によつて、右の金属手錠から革手錠に変更の措置を受け、請求人主張の通りの方法による革手錠を施されたうえ、同朝七時過頃独居房に拘禁され、以後同月一五日午後三時過頃までの少なくとも、まる三日余の間、継続して右の状態による革手錠を使用させて居たこと、大日向次郎は昭和三五年八月より府中刑務所の看守長として管理部保安課北部区長を勤め、同課長を補佐していたものであるが、たまたま本件の喧嘩争闘事犯のあつた前日の午後五時より当直勤務に就いていた関係で右事犯に対する職務を執行したものにして、前記の如く保安課事務室に連行された金谷と田窪の双方に対し各別に喧嘩の事情を質したが、その取調に対し金谷は喧嘩したことの非を卒直に認めて陳謝したが、田窪は金谷の言うところと異なり、金谷を殴打して傷害を加えたことを否認したため、同看守長は、田窪に反省の色がないと認め、同人だけに革手錠を使用することを決意し、直ちに部下職員に、その旨指示を与えるとともに他方、視察表に「戒具使用取調のため独居拘禁について」と題し、右事犯の概要を記載し、かつ田窪に対し革手錠を使用し、事犯取調のため、同人を独居拘禁に付したことを上申する旨、記載してこれを上司に提出したこと、部下職員は、大日向看守長の右の指示に従い、前記の如く田窪に対し金属手錠より革手錠に変更の措置を執行したうえ、同人を独居房に収容したこと、大日向看守長の以上の措置により田窪に対する右事犯取調の職責は、該事犯発生時における田窪の所属管区である中部区に、他方同人に対する戒護拘禁の職責は独居を所管する西部区にそれぞれ、ことを改めて引継ぐまでもなく関係の係員に伝えられて移管され、同看守長は当直勤務終了時限の当朝八時三〇分の経過とともに本来の担当部署である北部区に復帰したので、その後の田窪に対する警備の直接責任は専ら当時の西部区長である今井文孝看守長の負うところにして現に同区長が田窪に対し革手錠の使用を認め、これを継続しているのであつて、大日向看守長の所管ではない。また当時の中部区長である青木喜造看守長の所管でもなく、事実同看守長は本件の革手錠の使用には全く関与していないのである。他方前記視察表は当時所管の課長と部長を順次に経由して、同刑務所長西栄の許に提出され、同所長は、その判定欄に自己の印章を押捺したことが明らかである。しかし右押印の時期については明確ではなく、当日出勤後のことに属し、概ね、大日向看守長の当直勤務時間経過後のことと思われる。そして、府中の如く比較的大規模の刑務所では、特殊の場合を除き、所長は、あらかじめ、部下職員に対し戒具使用の要否についての認定を委ね、事後において単にその報告を受けていたのに過ぎないのが、その実情にして本件の場合もその例に洩れないのである。従つて視察表中判定欄に押捺する所長の印章も、その実質は単に事後報告を受けたことを意味するに過ぎない。

さて受刑者に対する革手錠の使用については、その目的と条件、その方法を誤ることなく最少限度において使用し、苟くもこれを懲戒の具に供し、或は喧嘩争闘などの事犯取調の手段として使用するが如きことの許されないことは勿論にして、従来から機会あるごとに当局において監獄官吏に対しその使用に遺憾のないよう注意を促して来たところであるが、田窪に対する本件革手錠の使用は喧嘩争闘という過去の事犯に対し、反省の色を示さないと做し、喧嘩争闘事犯の取調の手段と懲戒の具として苦痛を与える目的で使用した嫌疑十分にして、その濫権違法の陵虐行為であることは言を俟たない。而して刑務所においては、右の如き濫権違法の処置が、いまもつて、当然かつ安易に行われている旨の田窪の主張も強ち排斥し難いのであつて一般社会から隔離された刑務所内の刑務官による違法行為だけに軽視することができないのである。されば本件請求に係る被疑者三名のうち直接の使用責任者である大日向看守長の叙上の所為についての本件請求は理由があるのでこれを認容し、所長西栄については犯罪の嫌疑十分でなく、看守長青木喜造については犯罪の嫌疑がないので、右両名に関する本件請求は理由がなく、これを棄却すべきものである。

よつて刑事訴訟法第二六六条により主文のとおり決定する。

(裁判官 河内雄三 中村憲一郎 奥村誠)

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